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尾州竹林流の射術研究会です。
尾州竹林流 徳風会の沿革
尾州竹林流の流祖は石堂竹林坊如成。如成は、近江の国蒲生上郡須恵村の北村何某という郷侍の末子で兄の死去により還俗し、かつて弓削甚左衛門繁次が三嶋大明神に奉納した弓書を天文20 年8 月(1551 )に下げ受け、「日置一篇の射」を著し、その後諸国修業の途中、尾州清須へ来て、城主松平下野守忠吉侯に奉仕し藩士に弓術を指南した。
天正20 年6 月(1592) 二男弥蔵為貞、後の石堂林左衛門貞次が唯授一人を相続して、引き続き忠吉侯に奉仕、忠吉侯死去後は初代名古屋城主徳川義直侯に仕え、御弓矢奉行を勤め、藩士を指南したのが後世「尾州竹林流」と言われるようになった。
貞次の門弟岡部籐左衛門忠治は唯授一人を得、貞次の長女を妻とした。貞次の死後、貞次の次子が幼少であったことから、君命により岡部籐左衛門忠治が貞次の名跡(正統)を相続して、岡部の子孫代々尾州徳川家の御弓矢奉行を世襲し、尾州竹林の宗家として明治初年に及んだ。
貞次の門弟浅岡平兵衛重政が慶長11 年正月(1607 )京都三十三間堂で根矢をもって51 本
をことごとく射通し「天下一」の嚆矢となって以来堂射が盛んになり、ことに寛永以後は、尾州と紀州によって記録が競われ、貞次の門弟で唯授一人を得た長屋六左衛門忠重、印加を受けた杉山三右衛門吉次など「天下一」が輩出した。忠重の門弟で、寛文2 年5 月(1662 )6666 本を射通し天下一になり唯授一人を得、寛文9 年5 月(1669 )には8000 本を射通し、竹林流正統四代を継承した星野勘左衛門(星野家初代)などは特に有名である。
差矢万能の時代は約80 年間継続され、大矢数はなくなったが差矢は幕末まで続いた。この間、小的前(真の射法)は、遠的や繰矢(行の射法)、差矢(草の射法)に圧倒され、各師家も差矢に重点を置き、あたかも竹林流は差矢を専門とする流儀のごとき観を呈し、真・行・草三様の射法併用により竹林流の射形も変化してきたが、宗家の岡部氏は一門に堂射の練習を許さず、真の射法(的前射法)を専らとしたとされている。
大正15 年、星野家より竹林流正統十四代星野派十一代を承継し、初代愛知県弓道連盟会長を勤めた冨田常正範士は、岡部一門と共に尾州竹林流を継承する徳風同門会を創立、県内の指導者に尾州竹林流を広めた。
冨田範士没後は、徳風同門会を徳風会と改め、竹林流正統十五代星野派十二代を承継し愛知県弓道連盟会長を勤めた魚住文衛範士のもと尾州竹林流射法並びに現代弓道の研究会として今日に至っている。
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